大阪府堺市出身の向田紘己です。この度鳥取本部での研修を終え、トレーナーとして帰ってくることができました。今回はそんな私のトレーナーになるまでの経緯を紹介させて頂きます。
全ての始まりはサッカーとの出会い
私は小学3年生から10年間サッカーを取り組んでいました。兄の影響でサッカーを始め、地元のサッカーチームに所属していました。
しかし地元のサッカーチームは大会などには出場することはなくほとんどが練習試合で公式戦はありませんでした。
サッカーを続けていくうちに「もっと上手くなりたい」「大会に出て活躍したい」と思う気持ちが芽生え、4年生の頃に大阪の中でも強豪チームに入団しました。そのチームは足元の技術が優れている選手が多く、入団当初は全くついていけませんでした。
それでも、もっとうまくなりたい、周りのハイレベルな選手たちに追いつき、追い越したいという想いで必死に食らいつき、試合に出場できるようになりました。
5年生の頃には6年生の試合にも出場できるまでに成長しました。
このような体験から、私のサッカーに対する姿勢が変わり、何よりも本気で取り組むようになりました。
そのチームで6年生になり、監督の計らいでガンバ大阪ジュニアユースのセレクションにさせて頂きました。
Jリーグの下部組織であるジュニアユースはレベルも高いですが、遠征費など含め、たくさんの費用が掛かります。
親にも負担をかけることになるので、真剣に臨みました。もし入団できなければ、それ以外のレベルの高いクラブチームにいかず、お金のあまりかからない中学校の部活に入るという覚悟をもって。
1次選考、2次選考と通過しましたが、最終選考の前にセレッソ大阪ジュニアユース(U-15)からスカウトして頂き、このクラブへの入団を決めました。
練習場が自転車で通える距離であったことや自分を必要としてくれているということも、こちらに決めた理由の一つです。
セレッソ大阪ジュニアユースの3年間は全国大会や国際大会など様々な経験をさせて頂き、充実な日々を過ごしていました。ただ最終年次でその上の世代のユースチームには昇格することができず、高校時代は学校のサッカー部でプレーしました。
不遇の高校時代からトレーナーの世界へ
高校時代を一言で言うならば、不完全燃焼という感じです。
今思えばセレッソ大阪での実績があったことや、小学校、中学校の時のような周りへの劣等感がなかったので、どこか調子に乗っていた部分があったのかもしれません。
一生懸命取り組みはしましたが、以前のようなもっとうまくなりたい、周りに追いつきたい等というハングリー精神はなく、監督との確執等もあり、試合に出場することも叶いませんでした。
こんな状態だったので、プロになりたいという思いも薄れていきました。
プロを目指さないのであれば、大学に入って中途半端な気持ちでサッカーをする必要がないと思っていたため、サッカーは高校で区切りをつけ、2年制のスポーツの専門学校に入学しました。
スポーツの専門学校を選んだ理由は、今まで真剣に取り組んできたサッカーに選手としてではなく、それをサポートする立場での仕事に就きたいと思ったからです。
入学当初はサッカーのコーチやフィットネスクラブのインストラクターなどになりたいと思っていましたが、2年生の時に授業を担当して頂いたフリーでパーソナルトレーナーとして活動されていた先生の本気で仕事に取り組む姿を見て「どうせやるなら本気で取り組める会社に就職しよう」と思い、就職活動を始めました。
初動負荷トレーニングとの出会い
その活動中に、現在の所属先であるワールドウィング雲水がトレーナーを募集していることを知り、採用説明会に参加しました。
ワールドウィングは兄が小学生の頃、鳥取本部での合宿に参加していたこともあり、何となく馴染みがありました。ただ私自身は経験がなく「とにかくすごいトレーニング」と漠然とした認識しかありませんでした。
実際、雲水グループの採用説明会に参加し、トレーニング体験もさせて頂きました。感じたのは「人としてもトレーナーとしても成長できる」「競技者としてもまだできる」ということです。一度のトレーニングでそこまで感じたのは初めてでした。
「もっとこのトレーニングをしたい」「このトレーニングを知りたい」など興味が沸いたのを今でも覚えています。
しかし初動負荷理論についての授業は当然ながら専門学校でもなく、学生時代より勉強量が増え、苦労することはわかっていました。
「サッカーのコーチであれば自分の経験を活かすことができる」「フィットネスクラブのインストラクターであれば専門学校での経験を活かすことができる」など他にも選択肢はありましたが、それでも雲水グループに魅力を感じたのはスタッフの本気の姿を見たからです。
専門学校の授業であこがれをもったトレーナーの先生の本気さとも重なるものがありました。
勉強面での苦労は覚悟の上、厳しい環境に身を置くことが一番の成長に繋がると思い、迷うことなく応募に至りました。
そして無事採用して頂き、雲水グループの一員になりました。入社してからは採用説明会の時に感じた「人としてもトレーナーとしても成長できる」まさにその通りでした。勉強面も難しさはありますが、学べば学ぶほど、さらにその先があることが分かり、この素晴らしい環境で働けることを当たり前と思わず、これからも勉強とトレーニングを積み重ねていきたいと思います。
そしてプロでやっているアスリートから高齢者まで、それぞれに合った形で初動負荷トレーニングのことをお伝えでき、結果を残してもらえるような働きかけができるようになりたいと思います。
今後とも宜しくお願いします。
■この記事を書いた人
小学1年生の時にサッカーの楽しさに触れ、その後サッカーにのめり込む。Jリーグの下部組織等で活躍。進路に差し掛かり、今まで真剣に取り組んできたサッカーに、選手としてではなく、それをサポートする立場での仕事に就きたいという想いから、トレーナーを志す。その中で初動負荷トレーニングに出会い「人としてもトレーナーとしても成長できる」「競技者としてもまだできる」という衝撃を受け、この仕事に就くことを決めた。