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【プロフィール】コーチングスタッフ 林幸広

トレーナーとなり、もうすぐ10年が経とうとしている。経験することで見えてくることは、たくさんある。

私は初動負荷トレーナーになったばかりのころ、初動負荷トレーニングを世に広めたいなどと思っていただろうか。

少なくとも、今ほどは思っていなかったはずである。今では、このトレーニングはもっと広まるべきだと自然に考えている。トレーナーとしての経験から、単純に、このトレーニング理論が素晴らしいものであり、多くの国民の悩みを解決できる糸口になると考えている。

しかし、その考えに至る前段階の根本的な想いがある。 「このトレーニングを自分が小学生・中学生の時に出会っていたら、怪我に悩みながら過ごしたサッカー人生は違ったものになったのではないか」という想像である。

人生に「たられば」はない。だから、この想像を現実にすることはできない。しかし、それでもそう思わずにいられないのが人間の性(さが)なのだと思う。そして、自分自身で再現することはできなかったとしても、自分と同じような想いを持った人がいたら、その人にこのトレーニングが役に立つかも知れないと思う。

 

〇故障続きの学生時代

私は九州の田舎で生まれ育ち、高校までをその地元で過ごした。当時、中学生の頃に初めて町にコンビニが建ち、それから10年以上、その町にはコンビニは1軒しかないままであった。そんな田舎町であるから、サッカーで怪我をしても、評判のよい先生に診てもらうということは簡単な事ではなかった。

私は、学生時代は大好きなサッカーに明け暮れた。中学2年から高校3年の間までは、学校にはサッカーをするために通っていた。私はサッカーがあまり上手くなかった。そして度々、怪我をした。

小学校1年の時、運動会の練習で足首を捻挫した。走っていて転んだ、などならば諦めもついたと思うが、そうではない。かけっこの練習だった。公園のフェンスまで走って行って、タッチして帰ってくるという競争をした際に、横着をした私はフェンスを足で蹴ってタッチしようとした。古い公園のフェンスには、ちょうど足元に穴が空いていた。

私は、タッチしようとした足を見事にそこに引っ掛けて転んだ。痛かったのと恥ずかしかったのとを覚えている。そして、運動会の本番をその怪我で休む羽目になった。横着で痛い目を見るのはずっと変わらない。

記憶にある怪我の遍歴の開始は、この時である。それから、事あるごとに足首を捻挫して痛めるのだが、この時の影響がずっとあったのかもしれない。

小学校高学年から、中学校1年ぐらいは、両膝下の痛み、いわゆるオスグッド・シュラッター病に悩まされた。近所の接骨院で電気や超音波で治療してもらい、塗り薬を塗ってもらった。帰るときにテーピングをしてもらった。

毎日通って、毎日似たような治療を繰り返した。治療は、少し気持ちよくもあるので、接骨院に通うことは嫌ではなかった。しかし、どれだけ通っても一向に膝の痛みが治る気配はなかった。

サッカーはやってはいけないと言われるし、やろうにも走ってもボールを蹴っても痛いので、途方に暮れた。練習をできないのはつまらなかった。友人や先輩から、冗談とはわかりつつも「サボってんじゃねーよ」と言われるのは傷ついた。

なかなか治らないので、少し離れた町の整形外科に連れて行ってもらった。その病院の先生は、私の膝を診て「大丈夫、すぐよくなるよ。だけど、こんなテーピングじゃ治らない」と言って、接骨院で巻かれたテープをあっという間にはがしてしまった。不思議なことに、しばらくこの病院に通うと、徐々に膝の痛みは良くなった。もっと早くここに連れてきてもらえば良かったと思った。

今ならばわかることだが、そのころの治療はあまり効果的ではなかったであろうし、もしかすると治癒を遅らせた可能性さえある。接骨院の先生はとても良い人柄ではあった。ただし、本当に効果のある方法を知らなかっただけである。

その後も、私は怪我をすると、この町の整形外科まで連れてきてもらっていた。足底筋膜炎になった時もお世話になった。最も多く通ったのは、足関節捻挫である。サッカーをやっていれば、捻挫を避けることはできない。腰や膝を痛めたチームメイトを見ていたが、足首だけで済んでいるのは、時に幸運にも思えた。

しかし、足首の捻挫だけは、どれだけ病院に通っても思うように治らなかった。やっと痛みがなくなったと思ったら、同じところを繰り返したり、反対の足を捻ってしまったりと、反復性となり、右足も左足も、外側も内側も前も後ろもあらゆる部分が痛くなった。そして、高校生になる頃には、捻挫は治らないものだから、痛みのある状態でどうやってプレーを続けるかが大切なのだ、と思い込むようになった。

また当時は、「練習を1日休むと、それを取り返すのに3日かかる」という教えを受けて、サッカーが下手だった私は、練習を休むことがひどく怖かった。休んでいる間に、自分のポジションが無くなってしまうという恐怖であった。これは、現代でもスポーツ界につきまとう大きな課題であろう。

結果として、多少痛くても我慢してプレーしていた。そのために自己流のケアを行った。本屋で捻挫のケアの仕方の本を買い、あるいは卒業した先輩の教えを受け、自分でテーピングのテープを買い、練習後にはアイシングを行った。

しかしながら、これらの方法も実はあまり役に立っていなかったばかりか、捻挫が反復する原因を自ら作っていたかもしれない。怪我の本当の原因を知らないまま、無理を重ね、さらに怪我をしやすい体になるという悪循環であった。

〇理学療法士になりたい

サッカーをするうえで、私は怪我のほかにもう二つの悩みを持っていた。走るスピードが遅いということと、キック力が弱いということである。しかし、この悩みについて、なんと私は半ば諦めていた。いずれも、持って生まれた筋力によってこれは決まるものだから、悩んでもしょうがないと思っていた。これらは努力をしてどうにかなるものではないと決めつけていた。

その理由としては、当時勉強していた資料の中で見つけた、筋肉には速筋と遅筋という二つのタイプがあり、その割合によって短距離型か長距離型か、得意な分野が決まるという、大まかにこのような内容であったと記憶している。一部は事実であろうが、非常に雑な解釈であると思う。私は、皮肉にも持久走は得意な方であったので、高校生だった当時はそういうものかと理解してしまっていた。

多くのスポーツ選手の例にもれず、怪我の悩みやフィジカルの悩みを抱えながらサッカーを続けていた私は、高校3年の夏にサッカー部を引退することになる。サッカーしか取り柄のなかった私が、高校3年生の時、同級生と同じように自分の進路というものを考えることになった。

部活一辺倒の学生時代を過ごした私は、スポーツに携わることのできる仕事がしたいと考えた。自分は、サッカーは上手くないし、指導者という柄ではない。

ある日、新聞記事を読んで、理学療法士になることを決意した。スポーツ選手を支える仕事…トレーナー活動を行う理学療法士…リハビリやトレーニングで選手をサポートしたい… そんな想いを綴った、ある理学療法士の記事だった。自分をその記事の人物に重ね、トレーナーとして活躍できる理学療法士を夢見た。部活を続けるうえで、ずっと怪我に悩んでいた。自分と同じような悩みをもつ人の役に立てるかもしれないと思った。

医師になってスポーツドクターを目指す選択肢も考えたが、より選手に寄り添えるのはトレーナーだと思った。それからのおよそ半年間、私は必死に勉強した。そしてなんとか大学に合格することができた。

大学での勉強は大変だった。従来のなまけ癖もあり、膨大な勉強の量についていくことが難しかった。大学でもサッカーを続けたし(相変わらず怪我も多かった)、バイトもした。それ以外にも楽しいことがたくさんあった。勉強は、はかどらなかった。

いよいよ大学4年生となり、臨床実習で実際に患者さんを目の前にして、自分は何もできなかった。担当の先生が熱心に指導してくれるが、その先生の話を理解することからして困難だった。厳しい叱責もたくさん頂き、当時は辛く、惨めであった。勉強を軽んじていた結果であり、自業自得であった。

 

〇初動負荷トレーニングとの出会い

最終的には、大学を無事に卒業するに至るのだが、ほとんど学校と担当病院の先生たちの熱意と温情のおかげであり、依然として自分は患者様に対して何もできないことに変わりはなかった。

私は迷っていた。多くの友人は、病院などに就職するか、大学院に進学をしている。就職して、未熟な自分が患者の前にセラピストとして立つことが怖かった。かといって、大学院への進学はそもそも頭になかった。迷いながらも、いくつかの医療機関の見学や面接を受けた。受かったものはない。それでも就職しなければいけないという思いで、受け入れてもらえる場所を探していた。

そんなある日、初動負荷トレーニングの求人募集を目にする。初動負荷トレーニング、聞いたことがあるような、ないような名前だった。インターネットで検索し、その内容を調べた。これは、面白そうだと思った。

求人には、こう書かれていた。「トレーナーになるためには6ヶ月の研修(※現在は3ヶ月のカリキュラムになっている)が必要。」私は考えた。今すぐに、現場に立つ自信がないが、6ヶ月間、死に物狂いで勉強することができれば、少しはましになるかもしれない。また、ワールドウィング本部のホームページは魅力的だった。有名なスポーツ選手の指導歴があり、同時に各種疾患のリハビリにも有効であると。

スポーツトレーナーを目指して大学に入ったものの、その勉強過程では多くの疾患や障碍について学び、そういった患者に対する興味はそれなりにあった。さらには、「トレーニング」ということもよかった。

医療の現場よりも、よりアクティブに体を動かすということは、自分にはあっている気がした。私は、そういった想いをもって、ワールドウィング小牧の創設者であり、(株)雲水のオーナーである高瀬元勝の採用面接を受けた。この人柄に触れて、また初動負荷トレーニング施設を作りたいというその想いに触れて、私を働かせてほしいと頼んだ。一所懸命、勉強すると誓った。そうして、私はワールドウィング小牧の創設メンバーとなった。

ワールドウィング本部の6ヶ月間の研修は、本当に貴重な経験であった。そして、この研修において、後の同僚となる村上、宇都宮の両名と、同期の研修生として出会っている。研修のスタート時から切磋琢磨し、助けられながら、一緒に暮らし、一緒に勉強していた。二人は、医学やスポーツ科学等の専門課程を経ているわけではなかったが、大学時代に何度もワールドウィングに通い、初動負荷トレーニングの経験を既に十分に持っていた。そして、二人は非常に熱心に勉強していた。私もそれに刺激を受けるように必死でトレーニングを行い、勉強をした。私は、トレーニングを最初は全然上手くできなかった。というか、むしろ下手くそだった。それでも、試行錯誤しながらトレーニングを実施したことは、良い経験となっている。

紆余曲折があり、施設開設が予定よりも延長することになった。結局、およそ1年半の間、私はワールドウィングの本部で研修を続けることになる。後半の研修期間は、ほとんど見習いの職員と同程度の計らいを頂き、実際に会員様の対応も任せて頂けるようになっていた。不安で仕方がなかった就職前よりは、ほんの少しだけ自信がついていた。

そして、2008年4月。ワールドウィング小牧をオープンすることになる。2015年には、髙瀬は事業を会社法人化し、2号店となるワールドウィング名古屋高岳をオープンした。このトレーニングは、続ける価値がある。そして、伝える価値がある。直感とそれに続いてくる理屈とで、私はそう感じている。私は口下手である。良いものがあっても、それを人に「あれは良いものだ、お前もどうだ」などとは、なかなか言えない。それでも私は、初動負荷トレーニングは多くの人が実施する価値のある運動であると考えている。

初動負荷トレーニングを学び、実践することで、私の数々の怪我の悩みと、脚が遅い・キック力がないというプレーにおける悩みの本質的な原因を理解することができた。その根本的な原因として体の使い方を誤っていたことがある。怪我に関しては、残念ながら間違った対処法をずっと続けていたという事もある。

初動負荷トレーニングを学ぶことで、学生時代の悩みに対して明確な答えをえることができた。悩みの原因を頭と体で理解できた時、私の目の前にぱっと光がさして、目の前が開けたような気がした。

〇初動負荷トレーニングの可能性

アスリートにとっては大きな希望となるだろう。初動負荷トレーニングの可能性は私には計り知れない。私がこれまで10年足らずのトレーナーとしての経歴において直接関わりを持たせて頂いた会員様たちの変化たるや、筆舌に尽くしがたい。

一方では、初動負荷トレーニングはただのストレッチであるだとか、筋力がつかないから役に立たないだとか、他のレジスタンストレーニングと組み合わせて初めて効果的だとか、様々な憶測で否定する人もいるようである。残念であるが、トレーナーとしてただただ己の力不足を悔やむ。そのような理屈にて完結してしまうことも、わからないではないだけに、余計に残念である。

もしあなたが、よい料理人になりたければ、毎日何を繰り返すべきか。包丁やフライパンを握り、その技術を磨くことが必要であろう。しかし、その前にもっと大切なことがある。よい料理を味わうことだ。よい音楽家になりたいと思ったならば、その楽器を何万回も奏でることが必要であろう。しかし、その前にもっと大切なことがある。よい音楽を聴くことだ。

良い味を知らなければ、うまい料理を作ることはできまい。良い音を聞いたことがないのに、よい旋律を奏でることができるだろうか。 その道に長けた優れた人間は、優れた感覚を持っている。料理人が細かい味の加減を調節できるように、音楽家がほんのわずかな音の違いをも聞き分けられるように、優れた運動選手になるためには身体の繊細な動きを感じ取ることができなければならない。

運動選手にとって最高のご馳走、最高のメロディーとも言える運動形態。それを初動負荷マシーンによって再現することができるのである。マシーンに身を任せることで感覚は研ぎ澄まされ、マシーンの動きに自身の動きを重ねられたとき、ヒトは本来持っている野性的とも言えるしなやかな動きを引き出すことができるのである。

古来より、達人・超人などと呼ばれるアスリートや武術家の逸話には、往々にしてこのような感覚を持ち合わせていたという話がある。生まれ持ったものなのか、後天的に身に着けたものなのかわからないが、いずれにしても、そのような感覚を持ち合わせた人間が、運動において頂点に立つということは、十分にあり得る話だと思う。

さらには、スポーツ選手に限った話ではない。現代人の多くの悩みとして、様々な疾患や痛みがある。とりわけ運動器に関する悩みについては、日常の運動習慣と、運動形態の両方が大きな影響を及ぼしているだろうということが考えられる。不良姿勢による身体各部へのストレスの発生を、効果的な運動を持って良姿勢へ導くことができれば、それだけで症状が緩和するというケースも多く目にしてきた。

ハードな運動ではないので、運動が苦手な人や体力に不安のある人であっても、安心して継続することができる。健康な体で長生きをするための運動としてぴったりではないか。

これからの、日本にとっても有益である。医療や介護などの観点から考えてみたい。医療費が40兆円を超えた日本において、経済的にも、国民への健康意識の啓蒙が重要視されているが、運動習慣の浸透は各種疾患の予防に不可欠である。多くの運動器疾患や生活習慣病において、運動(療法)の重要性は高いとされながら、しかしそれらの医療機関での取り組みには限界がある。これを、運動施設に期待するのは自然な流れである。

これからの社会では、運動を生活の一部として取り入れることが必要になってくるであろう。食事や睡眠と同じくらい必要なものであり、風呂に入り、顔を洗う、歯を磨く、という生活習慣の一部として、身体を動かす、運動するということは欠かせないものになるのではないか。それは、健康で活発な身体機能の維持、あるいは精神的なストレス発散という、大きな役割を担うだろう。その中においても、初動負荷トレーニングは最も有効な運動形態であると信じている。

また、これは初動負荷トレーニングの創始者である小山裕史先生の大切にされている想いである「小学生から高齢者まで、年齢性別の隔てなく、スポーツ選手も障害のある人も一緒の空間でトレーニングをする」という点においても希望が持てる。

目的はそれぞれだが、同じ器具を用いて、皆が同じように気持ちよくトレーニングをする。これは、一つの立派なコミュニティである。小さな社会がそこにあり、お互いに交流をし、また良い刺激を与えあう。礼儀やマナーを守ることも必要であり、そこで子供は(時に大人も)学ぶことができる。高齢者や障害のある人は、バイタリティのある若者やアスリートのトレーニングを見て、元気を貰えるという。トップレベルのアスリートのトレーニング、その取り組み方やパフォーマンスを間近に見ることができることは、若い世代のアスリートにとって貴重な財産になるはずである。

親子、夫婦、祖父母や孫と一緒になど、家族での取り組みをされる会員様も多い。リハビリを必要とする祖父と、それを応援しながらクラブ活動のためにトレーニングをする孫。その二人を見守りながら、自身の生活習慣病の予防のためにと、親子三世代に渡って一緒の運動を行うという光景があるのだ。体に負担が少なく、多くの方が簡単に取り組むことのできる初動負荷トレーニングだからこそ、成しえる環境であると思う。

現代において、社会参加の重要性は一つの大きな課題であるだろう。家族や社会の在り方が多様化していく21世紀において、一見すると時代遅れにも見えるこのような人と人との繋がりは、場合によっては人の心に安らぎをもたらすかもしれない。希薄になったと言われる近所付き合いや、家族との会話など、それがトレーニングジムの中に再現されていたっていいと思う。

このように包括的にみても、社会的に初動負荷トレーニング施設のもたらす役割は大きいはずなのだ。

…妄想はいくらでも膨らむ。それだけの可能性が、魅力が初動負荷トレーニングにはある。これをただの妄想にしておくにはもったいない。すべてを自身で叶えられなくとも、誰かが叶えてくれるかもしれない。願わくは、それを近くで見ていたいとは思う。

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